世界大百科事典(旧版)内の《アシュターンガ・フリダヤサンヒター》の言及
【インド医学】より
…両書とも互いに相手の学派の存在は知っているが,書物自体に対する言及はない。この両書をまとめるという明確な意図をもって登場する最初の歴史上の人物が7世紀に《アシュターンガフリダヤ・サンヒター(医学八科精髄集成)》を著したバーグバタである。この書はすべてが韻文からなり二つの医学書をみごとに統合しているのできわめてよく流布し,8世紀にはアラビア語とチベット語に翻訳された。…
【バーグバタ】より
…チャラカ,スシュルタと並んでインド古典医学の〈三医聖〉の一人とされるが,他の2人に比べてはるかに歴史的実在性の明らかな人物であり,おそらくは義浄(635‐715)が《南海寄帰内法伝》で言及している医者であろう。ただし,《アシュターンガ・サングラハAṣṭāṅga‐saṃgraha》と《アシュターンガ・フリダヤサンヒターAṣṭāṅga‐hṛdayasaṃhitā》というよく似た2種の著作が残っており,バーグバタ2人説を唱える学者もある。いずれもチャラカおよびスシュルタの両医書を総合しようとする意図が明らかであり,両者に対する言及もある。…
※「《アシュターンガ・フリダヤサンヒター》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」