世界大百科事典(旧版)内のアストラハン朝の言及
【ウズベク族】より
…彼らは,アブー・アルハイルの孫シャイバーニー・ハーンのときに,マー・ワラー・アンナフルやホラーサーンの定住地域に侵攻し,1507年にはティムール朝を滅ぼす。これがシャイバーニー朝で,その後,ジャーン朝(アストラハン朝),マンギット朝と,ブハラを中心とした王朝が続いたため,これらを総称してブハラ・ハーン国と呼ぶ。また別の一派は,16世紀初頭ホラズムにヒバ・ハーン国を建設し,18世紀初頭には,フェルガナを中心にホーカンド・ハーン国が建国された。…
【ブハラ・ハーン国】より
…ウズベク族が中央アジアに建設したスンナ派イスラム国家。シャイバーニー朝(1500‐99),ジャーンJān朝(アストラハン朝ともいう。1599‐1785),マンギットMangit朝(1753‐1920。…
※「アストラハン朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」