アッケルマン条約(読み)あっけるまんじょうやく

世界大百科事典(旧版)内のアッケルマン条約の言及

【モルドバ】より


[独立と統一の動き]
 1821年のエテリア蜂起とワラキアのブラディミレスクの率いる農民蜂起は,ファナリオット支配を終わらせ,現地貴族出身の公が選出されることになった。26年ロシア・オスマン帝国間に結ばれたアッケルマン条約でかつてのモルドバの自治権が承認され,露土戦争後に結ばれた29年のアドリアノープル条約ではモルドバの自治はさらに拡大され,事実上オスマン帝国の支配からはほとんど解放されたが,その代りロシアがその保護者となった。29‐34年ロシア軍は駐留をつづけ,開明派のP.D.キセリョフ将軍がワラキアとモルドバを統治した。…

※「アッケルマン条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む