世界大百科事典(旧版)内のアッケルマン条約の言及
【モルドバ】より
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[独立と統一の動き]
1821年のエテリア蜂起とワラキアのブラディミレスクの率いる農民蜂起は,ファナリオット支配を終わらせ,現地貴族出身の公が選出されることになった。26年ロシア・オスマン帝国間に結ばれたアッケルマン条約でかつてのモルドバの自治権が承認され,露土戦争後に結ばれた29年のアドリアノープル条約ではモルドバの自治はさらに拡大され,事実上オスマン帝国の支配からはほとんど解放されたが,その代りロシアがその保護者となった。29‐34年ロシア軍は駐留をつづけ,開明派のP.D.キセリョフ将軍がワラキアとモルドバを統治した。…
※「アッケルマン条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」