世界大百科事典(旧版)内のアッピア水道の言及
【ローマ】より
…つづく共和政期に公共事業はローマ国家の対外進出と軌を一にして飛躍的展開をみせた。ローマ市を囲む不連続な塹壕線はガリア人による劫掠を機に幅4.5m,高さ8.5mを超す城壁に替えられ(いわゆる〈セルウィウスの城壁〉,前378),ラティウム地方制圧に続いてイタリア半島征服が始まる前4世紀後半には,ローマ市を中心とする放射線状の軍用道路網(前312年のアッピア街道が最古)や上水道(前312年のアッピア水道Aqua Appiaが最古。ただし地下式)の敷設も緒についた。…
【ローマ水道】より
…建築学・衛生学上,ローマの文化史上最大の業績の一つ。ローマ最古の水道はアッピア水道(前312)とアニオ・ウェトゥス水道(前272)であるが,その基礎にはエトルリア人から学んだ,ラティウムの谷底をうがつ排水溝の知識があった。その後,ローマの町には226年完成のアレクサンドリアナ水道まで11個の水道が設けられた。…
※「アッピア水道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」