世界大百科事典(旧版)内のアトミック・ガールズの言及
【少女歌劇】より
…松竹歌劇団も,ややその雰囲気が庶民的,東京下町的といわれる点を別にすれば,スター中心主義といい,華やかなレビュー形式といい,その歴史を通じて,宝塚歌劇と本質的な違いはないが,とくに戦後の松竹歌劇団は,浅草国際劇場という大劇場の利点をひきだして,よりスペクタクル的で大仕掛けな舞台をつくり出している。すなわち〈アトミック・ガールズ〉と称する圧倒的な迫力を持った全員総出演のライン・ダンスであり,また本水(ほんみず)を使って舞台上に瀑布をつくるなどの演出である。昭和20年代の後半から昭和30年代初めにかけて,このような新機軸を打ち出して人気を呼んだ松竹歌劇団は,その後も伝統の《東京踊り》のほか,《春のおどり》《夏のおどり》《秋のおどり》の四大踊りを名物として活動を続けてきたが,82年4月5日をもって,経営・興行上の理由から本拠の浅草国際劇場を失い,本拠を持たぬまま松竹系のいくつかの劇場を中心に年数回の定期的公演を行っていたが,90年より活動を休止している。…
※「アトミック・ガールズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」