アヒー(読み)あひー

世界大百科事典(旧版)内のアヒーの言及

【アンカラ】より

…マラーズギルドの戦(1071)以後トルコ族の勢力下に入ったが,第1次十字軍により一時ビザンティン側に奪回された。13,14世紀のイル・ハーン国支配期には,同業組合を基盤としたアヒーAkhī組織が都市内部の自治を行い,住民の権益を守った。1361年オスマン帝国の支配を受け入れたが,1402年7月28日バヤジト1世の率いるオスマン軍は,アンカラ北方のチュブク草原でティムールの遠征軍に敗れた(アンカラの戦)。…

【イスタンブール】より


[ギルドと民衆文化]
 民衆は,売春婦,日雇労働者から富裕な商人にいたるまですべてなんらかの社会的組織に組み込まれていたが,その中核は商工民のギルドであった。トルコのギルドは,アラブのフトゥッワの伝統を受け継ぎつつ,13~14世紀のアナトリアに発展した同信的若者組織アヒーahi,akhīを母体とし,スーフィー諸教団(タリーカ)と密接な関係をもっていたが,15~16世紀のイスタンブールにおいてアヒー組織はしだいに官僚的統制下におかれて世俗化し,スーフィー教団との分離が進んで,職種別のギルドへと転化したといわれている。ギルドは自主的組織をもち内部自治を維持する仕組みをもってはいたが,反面ではカーディーやムフテシプmuhtesip(ムフタシブ。…

【オスマン帝国】より


【前期】

[版図の拡大]
 1071年のマラーズギルドの戦(ビザンティン帝国とセルジューク朝トルコ)の勝利を契機としてアナトリアへ侵入したトルコ族のうち,オスマンと名のる人物を中心とした勢力がビザンティン国境近くのソユットSöğütに建国した(1299)。この勢力は,中央アジア,イランから移住したトルコ系遊牧民(トルクメン)を人的資源とし,ガージー,アヒー(宗教を媒介とした組織のリーダー),デルウィーシュ(神秘主義教団の修道者),および一部のビザンティン辺境領主(アクリタイ)の協力を得て,国境を拡大し,1326年にブルサを征服して首都とし,さらにニカエア(トルコ名イズニク,1331),ニコメディア(トルコ名イズミト,1337)を攻略して,54年にバルカンへ進出した。61年ころ,アドリアノープル(トルコ名エディルネ)を征服して,ここへ首都を移した。…

【ギルド】より

…結局,10~12世紀のイスラム世界ではギルドの存在を暗示する名辞があるだけで,組織については何もわかっていない。 13~14世紀,アナトリアにアヒーヤ・アルフィトヤーン(青年同胞団)という組織が現れた。これは手工業者の子弟をメンバーにし,友愛と互助精神を理想の倫理規範とする宗教結社的な組織で,フトゥッワとも呼ばれた。…

【フトゥッワ】より

…アッバース朝カリフ,ナーシル(在位1180‐1225)はこれらのフトゥッワを統一して,ウラマー,軍人,高級官僚などをこれに帰属させることにより,かつてのように強大なカリフ権の復活をもくろんだ。その野心的な試みはモンゴル軍のバグダード侵入によって無に帰したものの,ナーシルの理想は小アジアのアヒー(兄弟団)に受け継がれ,13~14世紀へかけて特定の守護聖者をまつる宗教的職業ギルドが多数形成された。一方,このころになるとタリーカ(神秘主義教団)の結成も盛んになり,スーフィーたちは,任俠を貴ぶアイヤールとは異なって,フトゥッワの精神を忍耐と寛容であると解釈し,その実践に努めた。…

※「アヒー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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