世界大百科事典(旧版)内のアビニョン芸術フェスティバルの言及
【アビニョン】より
…伝説上1177年架設とされるサン・ベネゼ橋は中途で流失したまま,残骸を現在にのこしているが,この橋はフランス民謡《アビニョンの橋》で子どもたちが踊る橋として知られている。現代にあっては,行政上の中心として機能するほか,第2次大戦後発足したアビニョン芸術フェスティバルをもって知られ,旧教皇庁の中庭でおこなわれる前衛劇,および〈音と光のスペクタクル〉は,年々評価が高まっている。【樺山 紘一】
[美術]
教皇庁が移された結果,1340‐50年ころにかけて,イタリアの画家マルティーニ,ジョバネッティMatteo Giovanetti(生没年不詳)などが相次いで招かれて移り住み,教皇宮殿(ジョバネッティなどがその壁画装飾にあたる)を舞台に,イタリア文化が花開いた。…
※「アビニョン芸術フェスティバル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」