世界大百科事典(旧版)内のアプラ党の言及
【アヤ・デ・ラ・トーレ】より
…ペルーの政治家,アプラ党党首(1924‐79)。ペルー北部トルヒーヨ市の裕福な中産階級の家に生まれるが,糖業プランテーションの帝国主義的独占化によって家は没落。…
【マリアテギ】より
…その誌上で,マルクス主義の観点から経済構造,インディオ・土地問題などペルー社会の構成と現実を鋭く分析し,28年,記念碑的な《ペルーの現実解釈の七評論》として出版する。また同年,階級政党としてのペルー社会党を,翌29年にはペルー労働総同盟(CGTP)を創設,中産階級を中核に据えて反帝民族主義革命を目ざすアプラ(APRA)党と対決した。この対立のなかでマリアテギは,民族的諸階級内の階級対立と中産階級の保守的性格を見抜いただけでなく,アプラの唱える反帝国主義国家の樹立とその厳しい規制の下での外資導入による民族的資本主義化という構想がいかに帝国主義に吸収されやすいかを看破し,封建主義と階級の搾取を同時に除去する社会主義革命の実現を目ざそうとした。…
※「アプラ党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」