世界大百科事典(旧版)内のアメリカン・アバンギャルドの言及
【アンダーグラウンド映画】より
…同年,前衛映画作家スタン・バンダービークが,彼自身の作品を含めた当時の実験映画を〈アンダーグラウンド〉と呼んだ。この言葉はジャーナリスティックな呼称として世界的に流布されたが,映画史的には〈ニュー・アメリカン・シネマ〉(のちに《俺たちに明日はない》《イージー・ライダー》等々の作品群に冠せられた〈アメリカン・ニューシネマ〉とは別),あるいは〈アメリカン・アバンギャルド〉の名称で呼ばれる。 1930年代末から40年代にかけて,ニューヨーク近代美術館が,H.リヒター,V.エゲリング,F.レジェ,マン・レイ,ルネ・クレール,M.デュシャン,S.ダリ,L.ブニュエルといったヨーロッパのアバンギャルド映画のプリントを入手して上映し始めたことと,J.コクトーの《詩人の血》(1930)が劇場公開されたことなどによって,映画王国と化していた従来のハリウッド映画のシステムにあきたらず,反発しながらみずからも映画を作りたいという衝動に燃える若者たちを熱狂させた。…
※「アメリカン・アバンギャルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」