世界大百科事典(旧版)内のアユトラ革命の言及
【ディアス】より
…南部オアハカ州で生まれ,法律を学ぶ。米墨戦争(1846‐48)で国防軍に参加,1854年の自由主義派によるアユトラ革命に加わり,のち対フランス干渉戦争で活躍して国民的英雄となった。67年と71年の大統領選挙に立候補したが,2度とも長老政治家ベニート・フアレスに敗れた。…
【フアレス】より
…しかし,53年に復活したサンタ・アナによってM.コモンフォルト,M.オカンポら自由主義者とともに国外追放になる。54年にアユトラ革命が起こりJ.アルバレスが革命評議会を樹立したとき,司法長官(1855)に任命され,軍人,教会の特権を廃止した〈フアレス法〉を制定した。57年に連邦制の典型となる憲法が制定されるが,執拗な保守勢力の反対に遭遇するとともに,コモンフォルト大統領との間にもフアレスの急進的政策をめぐって確執が生じた。…
※「アユトラ革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」