世界大百科事典(旧版)内のアラブ民族運動の言及
【アラブ民族主義】より
…第2次世界大戦中,イラクのハーシム家を中心とする肥沃な三日月地帯案や,トランス・ヨルダンのハーシム家を中心とする大シリア案など国家的統合の諸計画が策定されたが,結局,45年エジプトのファールーク王の主導権下でカイロにアラブ連盟(初めは,エジプト,イラク,サウジアラビア,イエメン,トランス・ヨルダン,シリア,レバノンの7ヵ国が結成した地域機構)がつくられた。第2次大戦後,大衆的組織と運動とを目指すバース党やアラブ民族運動Ḥaraka al‐Qawmiyīn al‐‘Arabが生まれた。後者はやがて60年代に左翼化して,パレスティナ人の間では人民戦線(PFLP)に,南イエメンでは民族戦線(NLF)になっていく。…
※「アラブ民族運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」