アルウェルニ族(読み)あるうぇるにぞく

世界大百科事典(旧版)内のアルウェルニ族の言及

【ローマ】より

…前133)をもってようやく終止符が打たれた。リグリア族,アロブロゲス族,アルウェルニ族の制圧(前125‐前121)以後,南ガリアもローマの属州となった。
[末期,内乱期(前133‐前31)]
 海外領支配によるローマ社会そのものの変質と,ローマ軍の弱体化という深刻な問題を解決すべく,グラックス兄弟(兄ティベリウス,弟ガイウス)は相次いで護民官となり(兄は前133,弟は前123),土地の再分配政策を掲げて改革運動を行ったが,いずれも反対派によって殺された。…

※「アルウェルニ族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む