世界大百科事典(旧版)内のアルメニア文字の言及
【アルメニア】より
… 2~3世紀にそれ以前のイラン系,ギリシア系の多神教からキリスト教への改宗が進み,4世紀に国教化された。405‐406年には修道士のメスロプ・マシトツが独自のアルファベット(アルメニア文字)を考案した。ローマ領では,アルメニア大領主制が解体され中央集権化が進んだが,逆にイラン側では,土着の封建的社会構造が維持され,ヤズドゲルド3世がキリスト教を迫害し,マズダク教を強制したときには,バルダン・マミコニヤンVardan Mamikonyanの率いる民族的規模の大反乱が起こった(451)。…
【アルメニア語】より
…インド・ヨーロッパ語族に属し,独立の一語派をなす。現在この言語の話し手は300万人以上と推定されているが,その言語領域は明確ではない。なぜなら,その本来の話し手がアルメニア共和国よりも多くは周辺のグルジア,アゼルバイジャン,イラン,トルコなどのほか,遠くはインド,レバノンにまで分散してしまっているからである。東西2方言に分かれるが,本国の人口の大半は東方言に属し,西方言は各地に分散しているため,その話し手の多くは二重言語使用者となっている。…
※「アルメニア文字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」