世界大百科事典(旧版)内のアレスの王令の言及
【リシュリュー】より
…30年にリシュリューの罷免をたくらんだ母后マリーを逆に国外に追放したほか,元帥モンモラシー公(1632)や国王側近のサンマール(1642)などの相次ぐ陰謀,反乱を失敗に終わらせた。一方,ユグノーに対しては,1627年,ラ・ロシェル市を包囲戦の末落城させ,29年,アレスの王令でユグノーの政治的特権を剝奪した。また,地方長官の派遣による国王直轄官僚制度の拡充を通じて統治の中央集権化を推し進めた。…
※「アレスの王令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」