世界大百科事典(旧版)内のアレマン公国の言及
【シュワーベン】より
…シュワーベン(アレマン)族の社会は首長(王や小王)制の多数の支族から成っていたが,5世紀に統一へ向かった。しかし,496年フランク王国のクロービスに敗れ,536年には全領域が東ゴートの保護下からフランク王の支配下に入り,以後フランク王の任命する大公に統治されるアレマン公国が建てられた。7世紀には部族法が成立し,キリスト教化が進み,8世紀以降カロリング朝時代には大公制に代わってグラーフシャフト制が導入された。…
※「アレマン公国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」