世界大百科事典(旧版)内のアントネスク,I.の言及
【ルーマニア】より
…34年にはユーゴスラビア,ギリシア,トルコとともにバルカン協商を結成したが,ドイツ,イタリアの圧力が強まるなかで,40年カロル2世は退位し,再びミハイが王位に即いた。ドイツに信任のあついアントネスクが国家指導者となり,やがて日独伊三国同盟に加盟した。この間40年6月にソ連はルーマニアに最後通牒を送り,ベッサラビアと北ブコビナを領有,ブルガリアも南ドブロジャを領有,またドイツ,イタリアのウィーン裁定によってトランシルバニア北部がハンガリーに与えられた。…
※「アントネスク,I.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」