アーサフ・ハーン(読み)あーさふはーん

世界大百科事典(旧版)内のアーサフ・ハーンの言及

【シャー・ジャハーン】より

…第4代皇帝ジャハーンギールの子で,晩年の父とは対立しデカンに退いていたが,1627年秋,父が死ぬと翌年初めアーグラで帝位を継いだ。これに先だつ1612年,宮廷貴族中もっとも金持で権勢のあったアーサフ・ハーンの娘ムムターズ・マハルと結婚した。シャー・ジャハーンの治世は,内政面ではムガル帝国時代でもっとも安定した時期であった。…

【ジャハーンギール】より

…1611年,ヌール・ジャハーンと結婚。その弟アーサフ・ハーンは,ジャハーンギールおよび次の皇帝シャー・ジャハーン時代の宮廷第一の貴族として有名であり,妃ヌール・ジャハーン一族は,ムガル宮廷に大きな勢力をもった。ジャハーンギール統治の後半は,妃によって政治が左右されたといわれる。…

※「アーサフ・ハーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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