世界大百科事典(旧版)内のアーディル・シャーヒーの言及
【マラーター同盟】より
…17世紀後半からインドのデカン地方に成立したマラーター王国が領土を拡大していく過程でとった形態で,プネー(プーナ)のペーシュワー(宰相)政府を中核として半独立的マラーター諸侯が連合し,1708年から1818年まで続いた。 王国の創始者は,17世紀にデカン地方を支配したムスリム王国アーディル・シャーヒーの武将シャーハジー・ボーンスレーを父とするシバージーである。彼はプネーに本拠をおき,マハーラーシュトラ地方の豪族や農民を結集しつつ,巧みなゲリラ戦法で近隣のムスリム勢力を打破,またムガル朝アウラングゼーブとも対等に渡り合い,1674年にラーイガル山砦でみずから王(チャトラパティCatrapati)となり,一大ヒンドゥー王国の基礎を築いた。…
【ムスリム五王国】より
…その五王国は次のとおりである。(1)ベラール州総督ファトフッラー・イマードル・ムルクのイマード・シャーヒー‘Imād Shāhī王国(1484‐1572),(2)ベルガウム州総督ユースフ・アーディル・ハーンのアーディル・シャーヒー‘Ādil Shāhī王国(1489‐1686),(3)ダウラターバード州総督のアフマド・ビン・ニザームル・ムルクのニザーム・シャーヒーNiẓām Shāhī王国(1489‐1636),(4)テレンガナ州総督スルタン・クリー・クトゥブル・ムルクのクトゥブ・シャーヒーQuṭb Shāhī王国(1512‐1687)の4王国がまず独立した。(5)バフマニー朝の王統が断絶した1520年代,同王朝の宰相家だったアミール・バリードがバリード・シャーヒーBarīd Shāhī王国(1528‐1619)を建て,ここに五王国が成立した。…
※「アーディル・シャーヒー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」