世界大百科事典(旧版)内のアーナンタの言及
【ラタナコーシン朝】より
…ラーマ7世のとき〈立憲革命〉(1932)が発生して絶対王制が崩壊し,立憲君主制国家タイが成立すると,王は病気治療のためイギリスに赴いたまま1935年退位を宣言した。 後継者となった当時10歳でスイス留学中の国王アーナンタはスイスにとどまったまま第2次世界大戦を迎え,戦後一時帰国中不慮の死を遂げた。10余年にわたる王政の事実上の空白は,アーナンタの弟で同じくスイスに留学していたプーミポンが9世王として即位することによりようやく埋められることとなった。…
※「アーナンタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」