世界大百科事典(旧版)内のアーヘン会議の言及
【神聖同盟】より
…とはいえ次の年イギリス国王,ローマ教皇をのぞくほとんどすべてのヨーロッパ王侯がそれに参加し,神聖同盟の執行機関としてロシア,イギリス,オーストリア,プロイセンのあいだに〈四国同盟〉が成立し,1818年にはフランスも加わって五大国支配の〈ペンタルヒーPentarchie体制〉ができあがった(五国同盟)。加盟諸国の皇帝および王侯はそれぞれの宰相を加えて1818年秋アーヘン会議を開き,とくにドイツにおけるブルジョア的かつ民族的な反体制運動に対する弾圧措置を審議し,カールスバート決議をとおして〈デマゴーグ(扇動者)〉追及の警察網を強化した。さらに20年11月のトロッパウTroppau(現,オパバ)会議,21年1月のライバハLaibach(現,リュブリャナ)会議では,イタリアのブルジョア的変革に対する軍事干渉,ギリシアの民族解放闘争を抑圧するオスマン・トルコに対する間接的支援が決議された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」