世界大百科事典(旧版)内のアーリヤ化の言及
【カダンバ朝】より
…のち10世紀から12世紀にかけて勢力を回復したが,地方的小政権の域を出るものとはならなかった。カダンバ朝は,バラモンの出自(ゴートラ)を主張し,ベーダ文化の体現を誇示して支配者としての正統性を強調するいわゆる〈アーリヤ化Aryanization〉への志向を示したが,土着文化との融合も進められた。悪魔(ターラカ)を倒す一方で疫病神でもあるという複合的な性格をもち,シバ神の息子としてヒンドゥー教にとり込まれた軍神カールッティケーヤKārttikeya(スカンダSkanda)の崇拝は,その典型的な例であり,チャールキヤ朝等の後の王朝にも受け継がれた。…
※「アーリヤ化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」