世界大百科事典(旧版)内のイエズス会士追放の言及
【ナポリ王国】より
…13世紀末から19世紀初頭までイタリア半島南部を支配した王国。11世紀末から12世紀にかけて,イタリア半島南部とシチリア島はノルマン人によって征服され,結合された(1140)。こうして成立したシチリア王国はホーエンシュタウフェン家(シュタウフェン朝。1194‐1266),アンジュー家(1266‐1435)と受け継がれた。しかし1282年の〈シチリアの晩鐘〉事件によって,シチリア島はアラゴンの手に渡った。…
【フロリダブランカ伯爵】より
…カルロス3世の登用で王室顧問会議員に就任し,啓蒙的専制政治を推進した。67年イエズス会士追放計画に参画,72年ローマ駐在大使に任命された。77年宰相就任,産業,運輸,金融の整備・改革に努めた。…
※「イエズス会士追放」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」