世界大百科事典(旧版)内のイギリス・トルコ通商の言及
【オスマン帝国】より
…しかし,彼の一連の政策は地方民衆の反発をうけ,これを利用したエジプトのムハンマド・アリーがその軍隊を西アナトリアに進軍させると,ヨーロッパ列強はこぞって干渉し,〈東方問題〉はいっそう激化した。エジプト問題に対してイギリスの支援をあてにしたマフムト2世が1838年に締結したイギリス・トルコ通商は,その後ヨーロッパ諸国との間にも一連の通商条約を結ぶ結果となり,それによってヨーロッパ工業製品の流入をひきおこし,土着産業の衰退をもたらした。翌39年のギュルハネ勅令を契機としたタンジマート(1839‐76)改革期を通じて,帝国の行政,法律,教育の西欧化がさらに徹底して進められた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」