世界大百科事典(旧版)内のイサーク・ル・メールの言及
【スハウテン】より
…当時アフリカ南端の喜望峰と南アメリカ南端のマゼラン海峡の通行権はオランダ東インド会社が握っており,他のオランダ人には通過の自由がなかった。太平洋貿易参入をめざすアムステルダムの商人イサーク・ル・メールは,太平洋への第3の航路発見のため,名高い航海者であったスハウテンを船長とし,自分の息子ヤコブを隊長とする探検隊を1615年にオランダから出発させた。彼らはホーン岬通過後,トゥアモトゥ諸島,トンガ諸島,ニューギニア北岸を経て太平洋を横断した。…
※「イサーク・ル・メール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」