世界大百科事典(旧版)内のイシュビエラの言及
【イシン】より
…本来InsinまたはIssinであるが,通常はIsinと書き習わされている。ウル第3王朝の末期に,元ウル王室の家臣であったイシュビエラIshbi‐Erraがイシンに独立国家を建て,そこで合計15人の王が統治した。イシン王朝は,政治理念,行政制度,宗教,文学などの面で,ウル第3王朝時代のシュメール的伝統を継承・発展させた。…
【バビロニア】より
…しかし,シュシンのころにはバグダードの北にティグリス川東岸からユーフラテス川西岸に至る長城を築いて,その侵入を阻止しなければならないほどになっていた。
[諸王朝分立時代]
ウル第3王朝を滅ぼしたエラム人は約10年間ウルにとどまるが,ウル第3王朝の元家臣で,その後イシンに独立王国を建てたイシュビエラ(前2017‐前1985)がこれを追い出し,ウル第3王朝の正統な後継者をもって自認した。この後イシンを中心とした約100年間は,事実上ウル第3王朝時代の継続といえるが,前1900年ころになってラルサ,バビロン(バビロン第1王朝),エシュヌンナなどにアモリ系の王朝が相次いで興り,新しい時代が始まる。…
【メソポタミア】より
…5代王イビシン時代までには西方セム系アムル人(アモリ人)の圧力が強まる。イビシンの高官アムル系のイシュビエラはイシンで独立するとともに,各地を軍事占領した。またエラムの脅威もあって,前2004年ウル第3王朝は崩壊し,シュメール人は民族的実体を失う。…
※「イシュビエラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」