世界大百科事典(旧版)内のイスティクラール党の言及
【モロッコ】より
… 56年3月の独立後,スペイン地区,タンジール地区におけるモロッコの主権も回復され,ムハンマド5世は翌57年にスルタンから王(マリク)と改称し,国名をモロッコ王国と改めて王政の基礎を固めた。それに対してイスティクラール党は民族運動の主導権を奪われ,58年には分裂して労働組合系の党員が人民勢力全国同盟(UNFP)を結成した。61年2月ムハンマド5世の逝去とともにハサン2世が即位し,翌62年に立憲王制の憲法を制定した。…
【モロッコ】より
… 56年3月の独立後,スペイン地区,タンジール地区におけるモロッコの主権も回復され,ムハンマド5世は翌57年にスルタンから王(マリク)と改称し,国名をモロッコ王国と改めて王政の基礎を固めた。それに対してイスティクラール党は民族運動の主導権を奪われ,58年には分裂して労働組合系の党員が人民勢力全国同盟(UNFP)を結成した。61年2月ムハンマド5世の逝去とともにハサン2世が即位し,翌62年に立憲王制の憲法を制定した。…
※「イスティクラール党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」