イドリース教団(読み)いどりーすきょうだん

世界大百科事典(旧版)内のイドリース教団の言及

【サヌーシー派】より

…40年代以降,本拠をリビアに移し,ジャグブーブやクフラ・オアシスを中心にサハラ一帯のオアシスにザーウィヤ(修道場)群を設立,周囲のフランス,ムハンマド・アリー朝,オスマン帝国,イギリスの諸勢力と対峙し,1911年以降はイタリアのリビア支配に対して持続的抵抗を組織した。成立当初は法学上マーリク派に属したが,1843年これと決裂,アフマド・ブン・イドリースの創設したイドリース教団の立場を継受しつつイジュティハードの権利を主張し,他方,伝統的諸教団のジクルを集大成して自ら神秘主義の精髄を代表するとした。ジハード(聖戦)運動を通じてリビア人の民族的自覚を促し,第1次世界大戦期以降の教団指導者ムハンマド・イドリース・アッサヌーシーは,1951年リビア王国独立に伴い国王となったが,王政は69年革命で打倒され,以後,教団の影響力は失われた。…

※「イドリース教団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む