イノサン墓地(読み)いのさんぼち

世界大百科事典(旧版)内のイノサン墓地の言及

【髑髏】より

…一方,西欧ではどくろを死の象徴としたのは遅く,15世紀になってからである。当時,〈死を想え(メメント・モリ)〉の思想と〈死の舞踏(ダンス・マカブル)〉の絵とが人々をとらえ,パリのイノサン墓地では,回廊の納骨棚にさらされた多数のどくろやその他の骨が人々に死が来るのは必定であること,したがっていたずらに生の歓びをむさぼることの空しいことを説いていた(ホイジンガ《中世の秋》)。デューラー,ホルバイン兄弟らが好んでどくろや骸骨を描いたのは15世紀末以降のことである。…

※「イノサン墓地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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