世界大百科事典(旧版)内のインドネシア国民教育協会の言及
【パルティンド】より
…その後,釈放されたスカルノを党首に迎えて勢力を伸ばしたが,再び政庁の弾圧を受け,36年に解散した。なお,国民党の解散に反対した少数派は,教育によって人民の政治意識の成熟をはかることが独立への課題であるとして,オランダ留学帰りのシャフリル,ハッタを中心にインドネシア国民教育協会を結成したが,このときの亀裂が,45年の独立革命以降も,共和国内のいわば土着派と親西欧派の対立に尾を引いた。【押川 典昭】。…
※「インドネシア国民教育協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」