世界大百科事典(旧版)内のウェストミンスター条項の言及
【シモン・ド・モンフォール】より
…これを受けて改革推進の指導者となったのがシモンであった。〈ウェストミンスター条項〉(1259)はその成果であったが,これに反対の保守派が現れて貴族は分裂した。シモンの改革派は王と結ぶ保守派貴族と対立したが,両派の調停に当たったフランス王ルイ9世が〈アミアンの裁定〉(1264)でオックスフォード条項の無効を宣言したため,シモンは兵を挙げて王の軍と開戦した。…
※「ウェストミンスター条項」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」