世界大百科事典(旧版)内のウェールズ庁の言及
【ウェールズ】より
…他面,北部,西部農村地帯の庶民の日常会話は依然ウェールズ語に支配され,18世紀後半以降の福音運動とともに,大衆教化の手段としてウェールズ語が重視されるようになる。19世紀後半にはアイルランドやスコットランドの自治権運動の影響もあって,教育・宗教面を主眼に独自性回復の動きが表面化し,教育行政を扱うウェールズ庁設置(1906)や英国国教会のウェールズでの特権廃止(1914)に結実する。戦間期の経済不況,失業問題や,自由党に代わって選挙区を掌握した労働党の消極的姿勢等から低迷を続けた運動も,第2次大戦後の繁栄と中央集権の進行に対する反感の高まりを背景に復活し,1966年にはウェールズ担当大臣とウェールズ庁が設けられ,67年のウェールズ言語法によって,2世紀ぶりにイングランドはウェールズを含まないことになった。…
※「ウェールズ庁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」