世界大百科事典(旧版)内のウォルムス勅令の言及
【ウォルムス国会】より
…しかし,4月17~18日,皇帝から異端的な所説の取消しを求められたルターは,聖書と良心にもとづいて断固これを拒んだ。その結果,皇帝は国会解散の直後,〈ウォルムス勅令〉を発してルターから帝国公民権を奪い,その著書の禁圧を命じた。【成瀬 治】。…
【宗教改革】より
…21年春ウォルムスで開かれた帝国議会(ウォルムス国会)に,皇帝がルターの出頭を求め,いまいちど〈異端的〉な所説を撤回する機会を与えたのはそのためである。しかしルターはあくまで良心を曲げず,取消し要求に応じなかったので,皇帝はウォルムス勅令を発して彼の帝国公民権を奪い,その著作の禁圧を命じた。 ルターの保護者であるザクセン選帝侯フリードリヒ3世(賢公)のはからいで,チューリンゲンのワルトブルク城に身を隠したルターは,ここで新約聖書のドイツ語訳(《ルター訳聖書》)という重要な仕事を短期間になしとげた(刊行は1522)。…
【シュパイヤー国会】より
…26年には,農民戦争後の秩序回復と21年のウォルムス国会直後に出されたルター派禁圧の勅令の実施が討議された。皇帝側は対仏戦争とオスマン・トルコ侵入の脅威から宗教問題には妥協をはかり,公会議の開催までウォルムス勅令の実施を延期した。諸侯,都市は各自の良心に従って行動すべきとし,宗教上の決定権を彼らにゆだねた。…
※「ウォルムス勅令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」