世界大百科事典(旧版)内のウォーターボーアの言及
【オレンジ自由国】より
…初代大統領J.H.ホフマン(在任1854‐55)から第4代J.H.ブランド(在任1864‐88)にかけ,隣接するバストランドの併合を画策したが失敗し,84年バストランドは正式にイギリス保護領となった。 1867年西グリカランドでダイヤモンドが発見されたが,グリカ族のウォーターボーア首長はその所有権を主張し,イギリスに保護を求めたため,71年イギリスは同地域を占領した。ついでM.T.スタイン大統領期(1896‐1900)にはボーア戦争が起こり,トランスバール共和国と軍事同盟を結んでイギリス軍と戦ったが敗れ,1900年5月から10年5月までオレンジ・リバー植民地としてイギリスに併合された。…
【キンバリー】より
…【西野 照太郎】
[開発史]
1867年ボーア人の一農民がたまたま子どもがもてあそんでいる石を見て鑑定の結果,ダイヤモンド原石と判明した。原石の発見された西グリカランド地方は法的にはオレンジ自由国の一部であったが,グリカ族のウォーターボーア首長がその所有権を主張してイギリスに保護を求めた結果,71年イギリスが介入し,80年ケープ植民地に編入した。原石発見とともにダイヤモンドラッシュが起こり,世界各地から投機家が殺到,貸区制の鉱区で採掘した。…
※「ウォーターボーア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」