世界大百科事典(旧版)内のウガンダ鉄道の言及
【ケニア】より
…さらに1920年にはザンジバルの首長の権益が残っていた海岸部を合わせて,ケニア植民地および保護領となった。この間,01年にウガンダ鉄道(インド洋岸のモンバサからビクトリア湖岸のキスムまで)が完成し,02年にはウガンダ保護領東部高地が東アフリカ保護領へ編入され,また原住民占有地以外の土地譲渡に関する法令が公布されるなどして,白人入植者がしだいに増大した。さらに06年に中央高地を白人のみへ譲渡することが決定され,その法的承認(1915)により,コーヒー,トウモロコシ,小麦栽培や酪農経営の白人入植者混合農場と,会社組織のサイザル麻,紅茶大規模プランテーションとからなるホワイト・ハイランドWhite Highlandが形成されていった。…
※「ウガンダ鉄道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」