世界大百科事典(旧版)内のウラジーミル・スーズダリ公国の言及
【ウラジーミル】より
…市の歴史は,ウラジーミル・モノマフが1108年,この地に要塞を築いたのに始まる。57年アンドレイ・ボゴリュプスキーがここをウラジーミル・スーズダリ公国(〈ウラジーミル大公国〉の項参照)の首都とするに至って特に発展し,すでに衰退しつつあった当時のロシア(キエフ・ロシア)の首都キエフと対照的に,大きな政治的意味を獲得してゆく。1299年にはロシア教会の長のキエフ府主教座もキエフを去り,この地に居を構えるに至る。…
【ウラジーミル大公国】より
…その結果,キエフの政治的位置の没落がいっそう明白となり,ウラジーミル市の地位の高まりは顕著なものがあった。以後この公国はウラジーミル・スーズダリ公国と呼ばれることになる。フセボロドの死後大公国内にいくつかの小公国が形成されたが,依然としてウラジーミルは大公国の中心であり,フセボロドの子孫が大公位を争うことになる。…
【ロストフ・スーズダリ公国】より
…中世ロシアの一公国で,キエフ・ロシアが細分状態に陥っていた時代にその北東に存在した。ロストフ,ついでスーズダリがその中心であったが,12世紀後半に都がウラジーミルに移され,ウラジーミル・スーズダリ公国と呼ばれ,キエフが没落していく中でウラジーミル大公国と称した。モスクワもこの公国の辺境に位置する町であった。…
※「ウラジーミル・スーズダリ公国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」