世界大百科事典(旧版)内のウンマ党の言及
【マフディー派】より
… 85年にマフディーが死ぬと,カリフ,アブド・アッラーフ・ブン・ムハンマド‘Abd Allāh b.Muḥammad(1846ころ‐99)がこれを率いたが,98年同国家はイギリス軍に滅ぼされた。以後,教団は革命的性格を失い,しだいに親英的立場に移行したが,エジプトとの統合に反対してスーダンの独立を求めるウンマ党の基盤となり,ミールガニー派(ハトミーヤ)と対立しつつ政治的影響を保持した。マフディーの子孫が教団のイマーム,ウンマ党党首となったが,1970年軍事政権下で弾圧され,同年イマームの暗殺後はイマームを置いていない。…
※「ウンマ党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」