エウゼービオ・デ・ケイロス法(読み)えうぜーびおでけいろすほう

世界大百科事典(旧版)内のエウゼービオ・デ・ケイロス法の言及

【ペドロ[2世]】より

… 約50年に及ぶ統治時代の最初の10年間には北東部や南部地方で反乱が頻発したが,その後の40年間は政治的に比較的平穏な状態がつづき,議会では保守党と自由党を分け隔てなく処遇し,絶えず調整的役割を務めた。47年に代議制を導入して議会の民主化を図り,50年にはイギリスの圧力を原因とするエウゼービオ・デ・ケイロス法の公布によってアフリカからの黒人奴隷貿易を禁止し数年で全廃させた。これを契機として51年から63年まで帝政は成熟期を迎え,ブラジルは近代国家に向けて目覚ましい発展を遂げた。…

※「エウゼービオ・デ・ケイロス法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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