世界大百科事典(旧版)内のエチオピア勤労人民党組織委員会の言及
【エチオピア】より
…また前述のエリトリアの解放勢力や,隣国ソマリアに支援された西ソマリア解放戦線(WSLF)によるオガデン地域解放のための反政府武装闘争も続き,革命軍事政府は苦境におかれた。そうした状況のなかで,政府は79年以来,エチオピア勤労人民党組織委員会(COPWPE)を通じて〈一党体制のもとでの文民政府〉実現へ向けて準備を進め,革命10周年にあたる84年9月にはCOPWPEを発展的に解消してエチオピア労働者党(WPE)を創設した。ついで87年2月の国民投票で共和国憲法が81%の賛成を得て承認されると,同年6月には一院制の国民議会(シェンゴ)の選挙を行い,さらに同年9月の国民議会初会期で,77年2月以来臨時軍事行政評議会議長の任にあったメンギストゥを初代大統領に選出して民政移管を果たし,一党制に基礎を置いた人民民主共和国を正式に発足させた。…
※「エチオピア勤労人民党組織委員会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」