世界大百科事典(旧版)内のエチオピア王朝の言及
【クシュ王国】より
…カシュタの息子のピアンキは,父の事業を受け継いで全エジプトの征服を完成した。こうしてエジプトの第25王朝,いわゆるエチオピア王朝(前751‐前656)が始まる。ピアンキは北は地中海岸から南は現在のウガンダ国境まで,東はエチオピア国境まで支配したが,それはアフリカ大陸の4分の1に及ぶ広さであった。…
※「エチオピア王朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…カシュタの息子のピアンキは,父の事業を受け継いで全エジプトの征服を完成した。こうしてエジプトの第25王朝,いわゆるエチオピア王朝(前751‐前656)が始まる。ピアンキは北は地中海岸から南は現在のウガンダ国境まで,東はエチオピア国境まで支配したが,それはアフリカ大陸の4分の1に及ぶ広さであった。…
※「エチオピア王朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...