世界大百科事典(旧版)内のエブロ川の戦の言及
【スペイン内乱】より
…そうした状況下で,38年7月25日午前0時15分,共和国政府の〈赤軍〉(政府内で共産党の影響力が強くなり,なおかつこの戦いに参加した部隊の指導者がほとんど共産党あるいは同党に関係のある人物であったためにこう呼ばれる)はエブロ川を渡り,総反撃を開始した。一般に〈エブロ川の戦〉と呼ばれるこの戦闘は,内乱における最後の大規模な戦いであり,まさに全面戦争であった。 エブロ川の戦の最中,38年9月に開かれたミュンヘン会談は,西欧民主主義国がヒトラーと対決する用意がないことを示した。…
※「エブロ川の戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」