世界大百科事典(旧版)内のエヤーレトの言及
【オスマン帝国】より
…また,各地域の実情に応じた柔軟な統治を実現するために,シャリーアの枠内にとどまることを条件に,カーヌーン(世俗法)およびヤサyasa(禁令)が,スルタンの勅令あるいはシェイヒュル・イスラムの〈意見書〉の形態をとって発布された。地方行政区分は,エヤーレトeyâlet(州),サンジャクsancak(県),カザーkazā(郡)からなっており,前2者にはそれぞれ,ベイレルベイbeylerbeyi,サンジャクベイsancakbeyiとよばれる軍政官が派遣された。カザーの行政官はウラマー層に属するカーディー(裁判官)であったが,彼は御前会議に列席する大法官(カザスケルkazasker)に直属し,同時に,刑事・民事訴訟の双方を取り扱うシャリーア法廷を主宰した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」