世界大百科事典(旧版)内のエルサレム使徒会議の言及
【原始キリスト教】より
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[パウロ]
ユダヤ教徒として律法に対する熱心のあまり,キリスト教を迫害さえしたパウロは,〈イエス・キリストの啓示によって〉(《ガラテヤ人への手紙》1:12)キリスト教に回心し(34ころ),3回の伝道旅行によりエーゲ海周縁諸都市に教会を設立し,遂にはローマにまで至った。第一伝道旅行の後(これをその前とみなす学者たちもある),彼はアンティオキアからエルサレムに上り,同地の教会の〈おもだった人たち〉(イエスの弟ヤコブ,ペテロ,ヨハネ)と会談し(いわゆる〈エルサレム使徒会議〉,48ころ),割礼を前提することなしに異邦人に福音を宣教する承認を得た(《ガラテヤ人への手紙》2:1~10,《使徒行伝》15:1~35)。にもかかわらず律法の順守を救済の条件とするユダヤ人キリスト者に対し,パウロは上記(1)の伝承に拠りつつ,信仰によってのみ義とされるといういわゆる〈信仰義認論〉を展開したが,この世にあって義とされ救われた存在を持続する手段として律法の有効性を認めた(《ローマ人への手紙》3:21~31)。…
※「エルサレム使徒会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」