世界大百科事典(旧版)内のエルシャド,H.M.の言及
【バングラデシュ】より
…しかし,政権の支持基盤の一つである軍隊の結束の乱れから,81年5月チッタゴンでクーデタが起こり,ジヤウル・ラーマン大統領は暗殺された。反乱軍はすぐ鎮圧され,大統領代行となったサッタルAbdus Sattarが11月の大統領選挙でも勝利したが,82年3月,再び軍がクーデタを起こし,陸軍参謀長エルシャドHossain Mohammad Ershad(1930‐ )中将が実権を掌握した。
[エルシャド政権]
エルシャド政権は基本的にはジヤウル・ラーマン路線の焼直しであった。…
※「エルシャド,H.M.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」