世界大百科事典(旧版)内のエルズルム条約の言及
【クルド】より
…10世紀後半,アッバース朝の中央集権体制が崩れると,960‐961年にハサンワイフḤasanwayh朝,983年にマルワーン朝というクルド系の地方政権が一時的にできるが,セルジューク朝の侵入によって短命に終わった。16世紀にクルディスターンはオスマン帝国とサファビー朝の戦場になったが,1639年のエルズルム条約によって西の2/3はオスマン帝国領,東の1/3はサファビー朝領に編入された。両王朝の支配下で半自治権を認められた七つの侯国ができたが,1837‐57年のあいだに中央集権化政策によっていずれも取りつぶされた。…
※「エルズルム条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」