世界大百科事典(旧版)内のエレウテライの言及
【ディオニュシア祭】より
…第1に,古くからアッティカの村々で祝われていたものがあり,巨大な男根(ファロス)を掲げ持っての行列,無礼講的な儀式などが行われた。第2は,これら村々の祭りの一つ,エレウテライEleutherai村のものが僭主ペイシストラトスによりアテナイ市内へ移され,アクロポリス南東麓に神殿も建てられた。これは〈大ディオニュシア〉と呼ばれ,毎年エラフェボリオン月(3月末ころ)5日間にわたって盛大に祝われ,前6世紀後半から悲劇,前5世紀初頭から喜劇の競演が始められ,劇場も整備されていった。…
【ディオニュソス】より
…有名なポンペイの〈秘儀荘〉の大壁画はそのようすを描いたものである。彼はまたギリシア最古のブドウ栽培地のひとつと伝えられるアッティカ地方北西部の小村エレウテライにささやかな社を献じられていたが,この社が前6世紀の中ごろ,ペイシストラトスによってアテナイのアクロポリスの南東麓に遷座させられ,その祭礼たる大ディオニュシア祭に悲劇等の競演が行われたところから,のちに演劇の神ともされた。 彼の聖獣は牡牛,牡ヤギ,ヒョウなど,聖なる植物はブドウ,常春藤(きづた)。…
※「エレウテライ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」