世界大百科事典(旧版)内のエンリケ伝説の言及
【エンリケ[航海王子]】より
…航海王子というあだ名からも知られるように,ポルトガル海外進出最大の貢献者とされているが,ポルトガルの歴史上最も評価の分かれる人物の一人である。基礎資料である15世紀の《ギニア航海記》(1841)では,イスラム教徒の征討に熱心な十字軍士としての側面が強調されているが,ポルトガル南西端サン・ビセンテ岬付近のサグレスに航海学校を創設したり,インド遠征を企図したルネサンス的賢人だったという,いわゆる〈エンリケ伝説〉が19世紀までに形成され,ついにはポルトガルの運命を切り開いた予言者として神格化されるに至った。日本でも和辻哲郎が《鎖国》(1950)の中で17世紀外国に門戸を閉ざした当時の為政者を,15世紀ポルトガルの海外進出を指導したエンリケに対比させて独自の評価を与えたが,同時にエンリケ伝説がそのまま日本に紹介された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」