世界大百科事典(旧版)内のエーレンブライトシュタイン城の言及
【コブレンツ】より
…1216年ドイツ騎士団が居館をかまえ,地形にちなんだ俗称〈ドイツ岬Deutsche Ecke〉が生まれた。歴代の選帝侯は,市内の城と対岸のエーレンブライトシュタイン城(後のプロイセン要塞)に好んで滞在し,15世紀後半には選帝侯の宮廷(離宮)がおかれ,1777‐86年古典主義様式の宮殿(現在の合同庁舎)が建てられた。三十年戦争,ファルツ継承戦争で都市は被害をうけ,フランス革命期には亡命貴族の反革命運動の拠点となり,ナポレオン軍に占領された。…
※「エーレンブライトシュタイン城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」