世界大百科事典(旧版)内のオッピドゥムの言及
【ケルト美術】より
…全般的にいうとケルト美術は地中海美術とは対照的な性格をもつものであり,そのゆえに,古典主義を中軸的原理とする在来の美術史観によって,低く評価されてきたが,近年は美術史観の進展および発掘資料の増加によって,地中海美術に拮抗する重要な意味をもつものとして再認識されるようになった。 ケルト人はまとまった人種ではなく統一的な国家を作らず,流動的な生活を好む傾向にあったため,末期に城塞集落(ローマ人のいうオッピドゥムoppidum)を作りはしたが,本格的な都市は営まず,そのうえ建築および日常生活の用具は主として木造であったので,その生活の痕跡は,ほとんど姿を消した。今日知られる遺品は主として墓地から出土した金属器や陶器に限られ,それに少数の石造品および木製品が加わる。…
【ラ・テーヌ文化】より
…ギリシア,ローマの古典時代作家の記録や,カエサルの《ガリア戦記》に登場するケルト人の残した文化とされている。 この文化に特有の遺跡としては,初期に多い首長墓と,後期に属するオッピドゥム(オピドゥム)oppidumがある。首長墓は,木室をもつ墳丘墓で,なかに4輪または2輪の車両を納め,ギリシアやエトルリア製の陶器や金属容器など,豊富な副葬品を伴っている。…
※「オッピドゥム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」