世界大百科事典(旧版)内のオブライエン,J.B.の言及
【チャーチスト運動】より
…要求貫徹の同時集会も各地で行ったが,7月に235対46の大差で否決された。コンベンションでは,それに反発して8月12日からの〈神聖な月〉(1ヵ月間の国民休日またはストライキ)の決行を一度は決めたが,支持組織は弱体であり,J.B.オブライエンらの提案で決定はくつがえされ,多くの逮捕者を出して運動は敗北した。この過程で,要求実現には暴力も辞さずとするオコーナー,G.J.ハーニーら〈暴力派〉と,教育・啓蒙に主眼をおき合法的手段を説くラベットら〈理性派〉の論戦も目だった。…
※「オブライエン,J.B.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」