世界大百科事典(旧版)内のオランジュ公の言及
【オラニエ=ナッサウ家】より
…オランダ(ネーデルラント王国)の王室。ナッサウ伯家はドイツのライン川中流ディレンブルクDillenburg領主で,その起源は12世紀以前にさかのぼる。14~15世紀,つぎつぎにネーデルラント地方の領土を得,ブレダに居城を構え,ブルゴーニュ侯に仕えてこの地方随一の名門貴族となった。16世紀前半,ナッサウ家の長男ヘンドリック(ハインリヒ)3世はネーデルラントを含むライン左岸の領地を相続し,ハプスブルク家に仕え,結婚により南仏オランジュOrange(オラニエ)公領を手に入れた。…
【オランジュ】より
…オランジュは,古代末期にゴート人によって占領された。11世紀にはオランジュ公領が創設され,公家は16世紀にドイツのナッサウ家と統合して,オラニエ=ナッサウ家となり,独立後のオランダ共和国の主権保護者となった。同家のオランジュ(オラニエ)公ウィレム3世は1688年の名誉革命の結果,イギリス王位にもついた(ウィリアム3世)。…
※「オランジュ公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」